相談しない男に対する不満ツイートの問題分析と、許容範囲の問題
あるツイートが最近バズっていました。
(一応名前を伏せて引用します。)
私の苦手な人
例)食事のオーダー
男:○○ちゃん食べたい物ある?
女:AとB食べたいです。あとは何でも。
男:了解頼むね~!すみません! AとB、あとCとD下さい。
はい! 食べたい物も聞いてくれてるし、 一見問題ないけど何が嫌か分かりますでしょうかw
この問題は、注文する前に「CとDを注文して良い?」と聞くのが正解で、それがなかったのでイラっとしてしまったようでした。
これに対して賛否両論のコメントがつき、様々なタイムライン上でリツイートされるという状況になっていました。
最初はかるーく流して見てたんですが、「もし仮に身の回りにこういう人がいたらどうだろう」と考えたら適切に対処できる気がしなくなってきたので、ちょっと真面目に考えてみることにします。
あくまでツイッターの文章上から見える文字だけからの推測なので真実とかけ離れている面も多いと思いますが、思考実験的な意味も込めてまとめてみます。
怒りの原因を探る
「イラっとした」、つまり怒りの感情が芽生えたということなので、その原因を探ってみます。
怒りの裏には恐怖がある
『ストレス、パニックを消す!最強の呼吸法 システマ・ブリージング』では、怒りの多くは恐怖の心から生まれるとしています。
例えば「大事な会議に遅刻をしている!」と先を急いでいるときに目の前に学生が道いっぱいに広がっていたとしましょう。
それに対して怒りを覚えたとき、その感情は「遅刻によって信頼を失ってしまうかもしれない」といった恐怖から生まれてくるということです。
つまり恐怖から逃れるために、怒りという感情が芽生えるわけですね。
その観点で見たときに、このTweetにおける恐怖はなんなのでしょうか。
理想と現実の差異
Tweetにおける正解は「CとBを注文して良い?」と聞くことでした。
その理由としては、本人のコメントとして下記のような理由が挙げられていました。
- 相談してほしい
- 置いていかれた気分になる
- 合理主義で自分本位であると感じる
- あとあと違った大きなことでも、相談なしで進めるんじゃないかと思う
- 心の距離感、圧迫感を感じる
ここからは推測ですが、共通して言えることとして「自分は相手から必要とされないのではないか」という恐怖があるように見えます。
いわゆるマズローの5大欲求における『承認欲求』が満たされないのではないか、という恐怖です。
この男女2人のコミュニティにおいて、自分に対しての相談なしで物事が進んでしまうことを、自分が必要とされていないことの裏返しとして受け止めているのではないかということです。
なぜ問題は起きてしまったのか
フラットにこの状況だけを見て判断するに、「男性側が女性を必要としていない」とは思えません。
そうすると、「男性側が思っていないことを、女性側がそう思っているのではないかと感じてしまった」ということがこの問題の原因ともいえます。
では、なぜ男性側が思ってないことを、女性側が勘違いしてしまったのでしょうか。
その原因として、男女間での「料理を注文する」というタスクに対する認識の違いが起因しているように推測します。
誰のタスクなのか
この女性は「注文する料理を決める」というタスクを男性が1人で決めてしまったことから怒りを覚えてしまっています。
仮にこれが男性の仕事のトラブルだったり、プライベートな問題だったら、男性が勝手に決めても怒りを覚えなかったでしょう。
むしろ相談されたら「それくらい自分で決めなよ」とすら感じるかもしれません。
要するに、怒りを感じるかどうかは、女性がそのタスクを自分のタスクと感じているかどうかです。
「注文する料理を決める」を2人のタスクだと思っていたからこそ、それを男性1人で決められてしまったことに怒りを覚えてしまったと推測できます。
男女間でタスクの範囲の認識が違っていた
元Tweetでも批判されてる表現として、「あとは何でも。」という一言があります。
これは聞き手からすると『タスクの放棄』とも取ることができます。
たとえば仕事上において「このデザインAとBでどっちがいい?」という質問に「何でもいいよ」と答えることは、「デザインを決める」というタスクを相手に押しつけたとも言えます。
そのため、このTweetにおける男性側にとって『料理を決める』というタスクは男性1人のタスクとして受け止めてしまわれたものと思われます。
しかし女性は2人のタスクだと思っていました。
そのため男女間においてのタスクの範囲の認識に差異が生まれてしまったのでしょう。
そのことが、この問題の根幹にあるのではないでしょうか。
この問題から見る、許容範囲の狭さの原因
この問題に対して「どうしてこの程度の問題で怒りを覚えるんだ」というコメントも数多く見られました。
事実としてTweet主は日々の人間関係でちょっとしたことにイライラする自らの許容範囲の狭さをなげくTweetも数多く見られました。
このように許容範囲が狭いということは、自分にあう人がなかなかいないということでもあり、純粋に生きづらい世の中にもなってしまいます。
なぜ許容範囲が狭くなってしまっているのかも、合わせて考えてみました。
許容範囲の狭さは自己防衛である
許容範囲が狭いということは、怒りや不快感を覚えてしまう範囲が広いということです。
この感情が恐怖からくるのであれば、恐怖を感じやすい人ほど怒りや不快感を覚えやすい人ということになります。
例えば「食事中に音を立てて食べるるのが嫌だ」と感じたとしましょう。
それは「周りの人からマナーのなっていない人のパートナーであると思われバカにされること」に対する恐怖が裏にはあるのかもしれません。
だとすると「相手がどうこう」は関係なく、「自分がマイナスの状況になるのを防ぎたい」という思いしかありません。
つまり怒りは恐怖に対する自己防衛であり、自分本位な感情であると捉えることもできます。
相手を尊重することで許容範囲を広げていく
したがって相手を尊重するということが、まず怒りを防ぐ方法になるのかなと思います。
「同じ立場になって初めて○○の気持ちがわかって、優しくなれた」という言葉もありますが、結局のところ相手の立場にたつという観点がないからこそ生まれる感情なんじゃないかと。
実際にTweetで女性を肯定する意見をいう女性は「○○と感じてしまう」という意見が多かったのに対し、男性を肯定する意見をいう女性は「男性の立場になると…」と相手の立場になって考えている人が多いように見えました。
EQの低さが許容範囲の狭さを産む
また許容範囲が狭くなる別の理由として、怒りの感情を覚えるような状況を作ってしまうことにあると思われます。
実際にこのTweetのケースでは、「あとは何でも。」ではなく「○○さんは何が良いと思う?」と聞けばよかったのではないかという意見が多くありました。
そうすれば「CとDが良いかな。」という男性の意見を引き出すことができ、怒りの感情を覚えずに済んだからです。
この例ではなくても、先を急いでいるときに目の前に道いっぱいに広がっていた人に怒りを覚えるケースはどうでしょう。
それも「急いでいるので、どいてください。」と言えば済む話で、そうすれば怒りの感情を覚えずに対処することができます。
つまりは『怒りの感情を覚えずに済むように状況を解決できる力』がないからこそ許容範囲が狭くなるのであって、この力をEQ(心の知能指数)と言います。
すなわち怒りを覚えやすいのであれば、なぜ怒りを覚えるのかを観察し、その状況を避ける能力を身につける必要があるのです。
それが自分の感情をコントロールするということなのです。
おわりに
推測たっぷりで、話題のTweetについて色々考えてみました。
第三者だから好き放題かけますが、実際当事者の立場だとどうしても盲目になってしまうし、非常に難しい問題ですよね。
自分がこの男性だったらどうだろう、この女性がもし自分のチームメンバーと関係を悪化させていたのだったらだったらどう解決すれば良いだろう、と考えるとなかなか奥深いです。
特に仕事環境を考えると、許容範囲が狭いということは周りの立場からすると良い存在ではないなーというのもあるんですよね・・・。
そういう意味でいうとどこかで受け入れ範囲を広げていく必要はあり、そのためには我慢をするのではなく自然と受け入れられるように成長するしかないという話になってきます。
だからこそ当人に成長を促すコミュニケーション手法である『メンタリング』という単語が最近よく聞くようになっているんでしょうね。