『自分探しの旅』って?自分を見つける旅の作り方

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先日学生と話して、「目標がない」「やりたいことが見つからない」なんて話をされました。

実際「自分もいま目標ないよなー」と思いながらも回答したわけですが、特に「目的を持って行きろ」と言われがちな昨今において悩んでる人も多いと思います。

そうしたときによく言われるのが「自分探しの旅」ですよね。

「自分探しの旅でやりたいことが見つかった!」みたいなやつです。

私自身、いわゆる「自分探し」の旅としてスペインの田舎道を丸1日歩く旅「サンティアゴ巡礼」に1ヶ月行ったことがあります。

帰った後「自分見つかった?笑」なんてからかわれたりもしましたが、実際行ってよかったと思っています。

今回はそういった経験も踏まえて、改めて「自分探し」とその重要性について書いていきます。

自分探しって探す「自分」って何?

自我は自分のことがわからない

まず「物事を考えてるあなた自身(自我)」と「自我が操縦してる肉体(自分)」の2つに区別して考えて見ます。

どちらも「自分」と言われがちですが、実際のところ「自我」にとって「自分」のことはわかってません。

例えば「いつもは飲み会好きなんだけどなんか今日は楽しめないな」なんてことありますよね。

これは「自我」は「自分」が飲み会が好きだと思って、「自分」を飲み会に連れて行きますが、「自分」は楽しくないという反応を返してしまうということです。

つまり「意識」は、「自分は○○が好きだ」と推測しているだけなんですね。

自分のことを推測して、行動を起こして、自分の反応を見て認識を改めていく繰り返しになるのです。

ある意味「他人」と同じで、自分のことなんて自我は何もわからないわけです。

自分探しの旅は、「自我」が「自分」の理解を深めること

では「何がしたいかわからない」ってどういう状態なのでしょうか。

それは「自分が何をしたら喜んでくれるか、自我が分かっていない」ということです。

つまり「自分の探しの旅で何がしたいか見つかる」ということは、「自我」が、操縦してる「自分」について理解が深まったということになります。

したがって自分探しの旅は、「自我」が「自分」に対する理解を深める旅とも言えるでしょう。

自我が自分のことを理解するための方法

ではどのようにして「自我」は「自分」のことを理解すれば良いのでしょうか。

行動を起こして反応を見る

「自我」は「自分」のことがわからないため、何か行動を起こしてその反応を見る必要があります。

例えば「絵を描く」という行動を起こして、「楽しい」という反応が返ってきて、「私は絵が描くのが好きなんだ」と思うかもしれません。

これは行動がないと気づけないものです。

これは何も行動を起こさなければ、自我のことなんて何もわからないということでもあります。

全ては行動することがら始まるということですね。

新しい行動を起こす

ずっと同じ行動をしていても、得られる情報は変わりません。

例えば毎日牛丼だけを食べていては、自分が「タイ料理が好き」と気づけないかもしれません。

つまり自分を知るためには、どんどん新しい行動を起こしていく必要があるわけです。

意識を向けて、気づく

行動をしても、その結果を意識しなければ結局気づきはありません。

例えば日々の昼食なんてほとんど無意識に過ぎ去ってしまっていますよね。

よく自分の反応を観察してみると、「不味いとは思ってたけど、不味いと思ってるのはしょっぱすぎるからかもしれない。自分はしょっぱいものが苦手なのかも。」と気くかもしれません。

感情の動きに気づく

このとき特に、感情の動きに気づくのが重要になります。

「目の前を横に並んでゆっくり歩いてる学生が居てイラっとした」のであれば、なぜ自分はイラっとしたのでしょうか。

「仕事でプロジェクトが成功して嬉しかった」のであれば、なんで自分は嬉しかったんでしょうか。

「そりゃ成功したら嬉しいでしょ」と思うかもしれませんが、実のところ成功自体は感情が動く要因ではなく、その先にある何かが感情を動かしているんです。

例えば「サイコロを降って1が出たら成功」と思って1が出ても何も嬉しくないように、成功が常に嬉しいわけではないからです。

したがってその何かまで理解しなければなりません。

裏の目標を知る

『なぜ人と組織は変われないのか』では、人が変わるためには裏の目標を知るのが大事だとしています。

例えば「新しい考え方にそっけない対応をとってしまう」という人は、「自分が物事をコントロールしているという自己イメージを持ち続けていたい」といった裏の目標があるかもしれません。

とすると、その裏の目標を解決しないと行動は変わらないのです。

行動 裏の目標
新しい考え方にそっけない対応をとってしまう 自分が物事をコントロールしているという自己イメージを持ち続けていたい
ストレートにものが言えない 社内のみんなに好かれたい
部下に仕事を任せず、自分でやってしまう 自分は部下にとってのヒーローだと思われたい

この裏の目標は人によって異なるため、何が裏の目標かを知るためには自分自身に問いかけていく必要があります。

なぜ人と組織は変われないのか ー ハーバード流 自己変革の理論と実践

自分を理解するための『自分探しの旅』

ここまでの点を踏まえて「自分探しの旅」について考えてみましょう。

自分探しの旅で、自分への理解が深まる理由は以下の2つです。

  • 未知の環境で、普段できない行動を起こすことで、様々な刺激を得ることができる
  • 「やらなければいけないこと」から解放された状態で、より自分を観察することができる

つまりこれら2点が得られるような旅をデザインすれば良いわけですね!

様々な刺激を得ることができる

新しい行動を起こして、その反応を観察することで自分に対する理解が深まっていきます。

そういう意味では新しいことだらけの「自分探しの旅」では、自分に対する気づきが得られる機会がたくさんあります。

例えば『インドの客引きをうっとおしいと思うこと』も1つの気づきですし、『トイレの紙がないようなホテルでも何も不快に思わないこと』も1つの気づきです。

実際私はスペインの巡礼の旅で、すぐに踵の骨を痛めてリタイアしてしまいました。

それも「自分はこのくらい歩いたら足の骨を痛める」「自分の歩き方は、着地するときに踵に重心を寄せがちだ」といったような気づきを得ることにつながりました。

より自分を観察することができる

日々の生活は「やらなければならないこと」に追われがちで、なかなか自分を観察することができません。

ですのでそこから距離を置いた場面では、新たな気づきを得やすいです。

それは「丸一日やることがない」ぐらいな状況で、「携帯電話をいじらない」で考え事をしてみるぐらいが良いでしょう。

丸一日歩き続けるサンディエゴ巡礼が自分探しの旅と言われるのも、ただひたすらに自分に向き合う時間があるからだと思います。

自分探しができる旅

というわけで新しい刺激が得られて、自分を観察する時間があるような旅が自分探しに向いてるのかなと思います。

人によって「何が新しい刺激か」は異なると思うので、「それが具体的にどんな旅か」ついてはこの記事で深掘りすることはやめておきます。

サンティアゴ巡礼

何度も書いてるので、一応サンティアゴ巡礼についてだけまとめます。

途中までですが、巡礼中の具体的なストーリーについてはnoteに書きました。

20代最後の年、僕は異邦の地を歩いた

また関連する書籍についてはこちらです。
どうやって巡礼すれば良いか、どの町に行ってどの宿に泊まれば良いかなどの具体的な内容が書いてある必須本。旅の途中ずっと読んでたのでボロボロです。

聖地サンティアゴ巡礼増補改訂版 世界遺産を歩く旅

おわりに

ということで「自分を見つける方法」と「自分探しの旅」について書いていきました。

あくまで行動を起こして、それを観察する必要があるため、『自分探しの旅』にいけば無条件で自分の理解が深まるわけではありません。

またよくある「自分探し批判」としては、「本当の自分があると思って今の自分を自己否定してしまう」ということがあります。

あくまでこの記事で書いたことは「自分に対する理解を深めること」であって、「本当の自分を探すこと」ではありません。

常に近くにいるいつもの自分のことを、よく知ってあげるだけなのです。

ただ自分を新しい環境に連れていってあげて、自分の反応に耳を傾けてあげることが自分を探す唯一の道ではないでしょうか。