私がインフルエンサーが苦手な理由
フリーランスになってすぐの頃、「今の時代、信用経済だ!」という流れにつられてインフルエンサー界隈をフォローして、情報を追ってました。
しかし、どうしてもインフルエンサーのツイートをみているとネガティブな感情を覚えてしまいました。
そんなこんなで、別の人をフォローしてはすぐにアンフォローということを繰り返して、最終的に「インフルエンサーをフォローするのはやめよう」という結論に至りました。
そんな経験から、自分がなぜインフルエンサーが苦手なのかまとめてみます。
ちなみに私のいうインフルエンサーは、「有名人でないけどフォロワーが多い人」をさしてます。
例えば「芸能人」や「プロ野球選手」「政治家」などのもともと知名度の高いではなく、一般的には知られていないけどネットでの活動によりフォロワーを何千、何万と抱えている人のことをさしてます。
嘘の主張になる
インフルエンサー界でフォロワーを増やすためによく言われることは、「相手の悩みに対しての回答を言う」「断定的に物事を言う」ということです。
たとえば
- 私の教材でプログラミングの勉強をすれば、1年で年収1000万いけます。
- アフィリエイトやれば誰でも月2桁なんて余裕。お前ら早く #ブログ書け
- 会社に不満がある人は全員プログラマーを目指すべき。
あるインフルエンサー曰く、その断定的な言葉の「覚悟」にフォロワーは惹かれるんだとのことでした。
万人に同じアドバイスがそもそも適用できない
そのルールに従うのであれば、あらゆる人に向かって、同じアドバイスを行うことになります。
しかしふつう友達に悩み相談されたら、まず「どんな状況なの?」と確認しますよね。
そして「それなら一度上司に相談してみたら?」「君の性格ならフリーランスあってそうだね」と、相手の状況に応じて回答は変わってくると思います。
しかし先ほどのインフルエンサールールでは、誰に対しても同じ回答をすることになります。
たとえば会社やめようか迷ってる友達に、なにも話を聞かずに「会社辞めて #起業しろ」と言っているようなものです。
もちろんそのアドバイスが当てはまって、幸せになる人はいるでしょう。
しかしインフルエンサーは転職や起業のように大きな決断を煽ることが多いため、アドバイスが当てはまらず人生が狂ってしまう人もたくさんいるはずです。
多用される「努力が足りない」
断定的に言う以上、ダメだった場合の受け皿としての言葉が必要です。
例えば「私の教材でプログラミングの勉強をすれば、1年で年収1000万いけます」に対して「私はなれませんでした」という人がいたら、嘘だということになってしまいます。
そこでよく使われる言葉が「努力が足りない」という言葉です。
もっとも雑なアドバイスが「努力しろ」
全てのアドバイスの中で、もっとも雑なものが「努力しろ」だと思っています。
なぜなら「努力しろ」は誰に対しても、どんな状況でも言えるものだからです。
仕事でも恋愛でもダイエットでも、どんな悩みでも何も考えずに「努力が足りないんじゃない?」と言えます。
万人にできる「努力しろ」というアドバイス
Twitterでは先に書いた通り、万人に対して同じアドバイスを言わざるを得ません。
そのため「努力しろ」という言葉が多用されるんじゃないかと思います。
「私のアドバイスでうまくいかないのは、努力が足りないからだ」と、どんな人に対しても、どんな状況でも説明できるからです。
もちろん本当に努力が足りない人に対して努力を勧めることは間違っているとは思いません。
しかし、それが雑に、どんな人に対しても、どんな状況においても多用されるのは、ブラック企業のような精神を感じてしまいます。
プロフィールを盛りがち
- 10代で起業して◯桁のイグジット経験
- 20代でブログで年収◯桁
- プログラミング未経験から1年で年収◯万
Twitterにはこういった経歴の人があふれています。
そして経歴詐称として、炎上しているインフルエンサーも何人も見ました。
ふろむださんの『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』でも書かれていますが、世の中は実力では評価されず、いかにすごいと勘違いさせるかが大事だそうです。
そのため、誇張したプロフィールにすることを推奨しているインフルエンサーもいます。
「私は年収◯万です」なんてことは誰でも言えますが、それが本当か判断するすべはありません。
そのため、そういったプロフィールを見るだけでどうしてもうさんくさいと思ってしまいます。
炎上させるため、敵を作る
今の時代、炎上の経済効果は大きくなっています。
そのためあえて炎上を狙っている人も多く、「炎上を起こして1人前」とまで言われています。
炎上を起こすためには誰かを怒らせる必要があり、そのために誰かを傷つける意見や煽るような発言をする必要があります。
そのため炎上を狙っているような人は、誰かを煽ったり、挑発的なツイートを多くします。
必然的に攻撃的なツイートばかり目に入るので、どうしても見ていて心地よいものではないのです。
二元的な主張になる
インフルエンサーは「0か100か」みたいな主張が良いとされています。
たとえば「エンジニア以外負け組」「脱社畜」のようなものです。
99%の人が反対しても1%の人が大賛成するような主張をすれば、その1%がフォロワーになってくれるからです。
中立的な立場だと100%を傷つけないかもしれませんが、一方でフォロワーを得ることができません。
宗教的空間になる
インフルエンサーの周りには、意見に賛同する人が集まります。
たとえば「戦争反対」というスローガンで主張している人の周りには戦争反対という人が集まります。
そしてインフルエンサーは自分の意見と同じ人をリツイートするため、あたかもその考えが全てかのように錯覚してしまいます。
閉鎖的な情報収集ばかりして、あたかもその考えが全てかのように錯覚してしまうのです。
「ギブが大事」「ギブするために、お金払って労働」みたいなオンラインサロンが批判されてたこともありましたが、一種の宗教のように1つの考えが絶対の正義とされた世界観が構築されてしまうのです。
敵と味方を作る
2元的な考え方は敵を作ります。
宗教的世界観を崩すことはできないため、主張を覆すこともできません。
また敵を作ることで炎上を狙うことができるため、むしろ敵ができることはインフルエンサーにとって良いことでもあります。
そうして偏った思想を持った人たちが集まり、意見が異なるものを攻撃する空間ができあがります。
フォロワーを増やすためにTwitterをしている
つまるところ、フォロワーを増やすためにTwitterをしているということにつきます。
思ったことを呟いてるわけじゃないんです。
フォロワーが増えそうなことを書いているんです。
そのため、フォロワーを増やすために嘘をついたり、フォロワーのためにならないこともする可能性があるんです。
もちろん全てがそうだとは言いません。
しかし「その人の目的がフォロワーを増やすこと」である限り、それは偏った力学が働いたツイートになってしまうのは間違いないんです。
おわりに
たしかにインフルエンサーは時代に合ってると思いますし、インフルエンサーが悪いとも思ってません。
ここに書いたことも全てのインフルエンサーに当てはまるわけではありません。
ただ、どうしてもその世界観に馴染むことができませんでした。
インフルエンサーを多くフォローしていた時代は、偏った意見につい反論したくなってしまうことがなんどもありました。
しかし、それが炎上させるための狙ったツイートなのでは?という思いもあり、ずっとモヤモヤしていました。
そのあとにリアルの知り合いのくだらないツイートを見て心が和んだのを覚えています。
「これからの時代フォロワーを抱えてないひとはダメだ!」みたいにも言われています。
しかし、無理に向いてない人がその道を目指す必要もないと思います。
世界中にはSNSも触らず普通に働いて充実した日々を送っている人が無数にいるからです。