【台湾で一番有名な日本人】八田與一の歴史を追う、烏山頭ダム探索【台南】
台湾の英雄、八田與一
台湾で一番有名な日本人と言われる八田與一をご存知でしょうか?
八田與一は、台湾の日本統治下の1920年から1930年までかけて、鳥山頭ダムを建設した人になります。
台湾南部の経済を支えた八田與一
「ダムを作ったぐらいでなんでそんなに崇められるの?」って思ってしまいそうですが、台湾にとっては大きな意味を持ちます。
台湾併合頃の台湾にとって水の病原菌汚染が酷く、「台湾の水を5日間飲みつづけると死ぬ」とまで言われていました。
そのため台湾の成長にとって、水周りのインフラの整備は欠かせないものだったのです。
『三年輪作法』
そんななか八田與一はダムを作ることで水田を大きく増やしただけでなく、『三年輪作法』という農作方法も考えました。
その結果、ダム完成から水田の数は30倍に増加し、ダム完成から7年後の米の生産額は11倍、サトウキビ類は4倍になったそうです。
日本統治下に台湾の貿易が黒字化したのは、八田與一のおかげであると言っても過言ではありません。
そのため台湾では学校の教科書でも紹介されていて、鳥山頭ダムには毎日のように多くの台湾人が訪れています。
八田與一記念堂
そんな背景もあり、ダムには八田與一記念堂が建設されていました。
八田與一記念館には様々な資料や写真が展示されており、八田與一の歴史を学べるビデオが上映されています。
烏山頭ダム旧放水口
八田與一記念堂の近くには旧放水口があります。
この放水口は、太平洋戦争にて八田與一が死亡したあと、妻・外代樹が身投げした場所だそうです。
八田水力発電所
放水口の近くには、八田水力発電所があります。
鳥山頭ダムにあるサージタンク
八田與一記念堂の近くにはサージタンクがありました。
サージタンクとは、ダムや水力発電所に接続する用水路の末端に設けられる大型のタンクのことです。
このタンクの水を使って、水の流量を調整するんですね。
八田與一の作った、鳥山頭ダム
八田與一記念堂から少し離れたところに、鳥山頭ダムがあります。
この鳥山頭ダムにはキャンプ場などの様々な施設があり、多くの台湾人で賑わっています。
自らが作ったダムを見下ろす、八田與一像
ダムの一番高いところには銅像とお墓があります。
銅像は自らの作ったダムを見下ろすように建てられており、ダムを見つめながら考え込む八田與一の姿を見ることができます。
この銅像は、1931年に八田與一ををしたう近隣住民によって建てられたそうです。
日本の敗戦後もこの銅像を隠し、中国政府から撤去命令が出たときも住民は拒否し隠し続けたそうです。
そして1990年に民主化が進み、八田與一の業績が再評価され、再び公開されることになりました。
人々の思いが込められた銅像なんですね。
鳥山頭ダム骨薫蒸気機関車
ダムまでの道中には骨薫蒸気機関車が展示されています。
この蒸気機関車は、ダム建設時に用材を運搬したり、人を運ぶのに使われたそうです。
思ったより小さいなという印象を受けました。
鳥山頭ダム
鳥山頭ダムはながさ1273m、高さ56mで、満水貯水量は1億五千万トン。これは黒部ダムの75%に相当します。
八田與一は米国にて学んだ『セミ・ハイドロリック・フィル工法』を用いて鳥山頭ダムを作りました。
アジアで『セミ・ハイドロリック・フィル工法』が使われているのはこのダムだけだそうです。
八田與一と同僚幹部職員の居住家屋
八田與一記念公園の北端には、八田與一と同僚幹部職員の居住家屋があります。
この建物は2011年に復元されたのですが、復元にあたり金沢県にまでなんども訪れ、資料収集を行い、2年の歳月をかけて完成させたそうです。
田中・市川宅、八田宅、赤堀宅、阿部宅の4つがあり、毎週1ヶ所のみ内部見学が可能です。
八田與一宅
建物の中
建物の中は日本の伝統家屋で、昔ながらの日本の雰囲気を味わうことができます。
八田與一の歴史を追う、烏山頭ダム探索
日本ではあまり有名ではありませんが、八田與一というかたがどれだけ尊敬されているのかが良くわかる場所でした。
同時に、台湾のかたがこれだけ日本人に対して厚意を示してくれるということに感謝の念を覚えてしまいますね。