村おこしの方法を考えてみた
父親の実家が「村」で、ちょうど帰ったときに村おこしの話になりました。
せっかくなので、こういう村だったら住んでみたいなーという思いも込めつつ、村おこしについて2つの視点から自分の考えをまとめてみます。
- 住む:他にはない生活を提供する。
- 観光する:他にはない体験を提供する。
住む:他にはない生活を提供する
人が住居を選ぶとき、そこでどんな生活ができるのかをイメージします。
そこで他にはない何かを提供できれば、その村をあえて選んでもらうことができそうです。
健康村
いま分子整合医学では栄養素の不足や過剰が原因でうつ病やアルツハイマー病、ADHDといった病気になると唱えています。
しかし実際この生活は難しく、少なくとも外食だとほぼ食べちゃ行けないものが入っていたり、栄養に偏りが出てしまったりします。
村全体の飲食店を栄養士で完全監修していきます。
そして「アルツハイマー病メニュー」や「うつ病メニュー」といった治療食を用意して、提供していくのです。
するとアルツハイマー病の治療のために村に住むといったような、村全体が病院のような形で機能するかもしれません。
健康志向な人が集まる
健康志向な人が集まることで、村でオーガニックやグラスフェッドのような健康的なものばかりが売れていくことになります。
となると村自体がそれに最適化していって、健康的なものしかない、健康志向な人のみが集まる村になるのではないでしょうか。
健康というテーマでなくとも、あえて住む人の属性を限定することで、その属性の人に最適化し、その属性の人がどんどん集まるようになったりします。
万人ウケを狙って中途半端になるよりは、このようにあえて特定の人にだけ住みやすい場所にすることで他と差別化していくのも良いかもしれません。
完全英語村
フィリピンに語学留学に行くように、日本に完全英語圏な場所を作ってしまえばどうでしょう。
「そこに住めば英語喋れるようになりますよ!」っていう謳い文句で、英語を喋れるようになりたいという人や、子供に英語喋れるようになってほしい母親とかに来てもらうのです。
父が定年退職後に英語を勉強したがっていたのですが、フィリピン留学は敷居が高いとすごく悩んでいました。
日本に完全英語圏な村ができたら、いきたいという人は絶対いるはずです。
何かをとてつもなく安くする
国によって税金の違いや食物の入手しやすさで、全く違う文化が生まれます。
だったら村が補助金を出して何かをすごく安くすることで、強引に他の日本と違う環境にできるんじゃないでしょうか。
たとえば村が補助金を出してお酒を安くします。
そうすると酒飲みが村に集まり、自然と居酒屋が増えていきます。
最終的にバンコクのカオサンロードのように連日多くの人が遅くまで騒いで呑み続ける眠らない街になるかもしれません。
どちらにしろ何か偏った特徴を持たせることで、偏った人たちが集まって、他とは全く違う村ができるように思います。
個人的には、そんな村に行ってみたいです。
観光:他にはない体験を提供する
ただの「徒歩」に何百万人も集まる
スペインにはサンティアゴ巡礼という、四国のお遍路のキリスト教版とでも言うような巡礼の旅があります。
具体的には1日20〜30kmぐらいを、約1ヶ月かけて歩いて、スペインの田舎道をひたすら歩いていく旅です。
日本では一部にしか知られていませんが、世界的には有名なものです。
私も過去この巡礼を行ったんですが、世界中から巡礼の旅にピーク時は月何百人とが挑戦していきます。
これがキリスト教とか全く関係ないもので、「仕事を辞めたからこれからの人生を考えたくて」とか「女性に出会いたいから」とか「世界中の人に出会いたいから」とか理由は様々です。
しかし実際やっていることは、スペインの田舎道をただ歩くだけなんですよ。
ほんと畑の間を何時間も歩くだけで、最初は旅行感ありますが途中から景色に対する感動はなくなります。
なんかすごいイベントやってたり、特別な観光地があるわけでもありません。
その旅が提供しているものは、バスや電車で行ける道をあえてみんなで歩くことだけなんですね。
そして人と人との関係からそこにドラマが生まれて、本になったり、人生を変える旅と騒がれるようなストーリーが生まれてくるわけです。
つまりあえて歩くという体験と、そこから得られるストーリーに魅せられて人が集まっているわけです。
体験・ストーリー
観光っていうと観光地ばかり考えられがちですが、実際はそこでどんな体験・ストーリーが待っているかの方が重要に思います。
たとえばインドもぼったくりやしつこい勧誘といった体験があるからこそ、行ったら人生が変わると言われて多くの人が旅行に行っているように思います。
その観点では、必ずしも至れり尽くせりで良い思いをして帰ってもらうのが観光の醍醐味ではないんですよね。